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脳死・臓器移植関連


by miya-neta2

国内初、生体肝移植の教授勇退

中国新聞・地域ニュース


国内初、生体肝移植の教授勇退_d0000840_904942.jpg ▽島根大・永末教授「外科医として力尽くした」

 一九八九年十一月、国内初の生体肝移植を手掛けた島根大医学部(当時島根医大、出雲市)の永末直文教授(62)が三十日、勇退する。出雲の地を離れ、故郷・福岡県の民間病院で現役を貫く。

 永末教授は九州大出身で、広島赤十字・原爆病院を経て一九八六年に島根医大へ赴任。助教授時代に先天性胆道閉鎖症と闘う岩国市の杉本裕弥ちゃんを救おうと、「未知の手術」に踏み切った。

 九〇年八月、裕弥ちゃんは一歳九カ月で他界したが、移植医療は急展開。世界で四例目だった生体肝移植は今、国内で三千例を超え、脳死移植が主流の欧米でも普及した。「徹底的な情報開示が理解を進める鍵だった。決断は正しかった」

 半面、第一例のリスクを背負った学内では、二例目はなかった。必要性を訴えた国内の脳死移植は、九七年施行の臓器移植法で可能となったが、厳しい制約の下、実績は三十八例にとどまる。

 「パイオニアの宿命」と「政治家の認識の薄さ」にため息を漏らし、「いち外科医でできることは、自分なりに精いっぱいやり尽くした」。後進には「プライドを持って務めを果たそう」とだけ言い残す。

 二〇〇三年には島根大医学部の初代学部長に就任。島根県、出雲市の助成で設置を目指す腫瘍(しゅよう)学講座に道筋をつけるなど学部運営にも力を注ぎ、メスも握り続けた。十月からは、知人が営む福岡市のふくみつ病院の院長として、「博多で最も質の高い消化器外科の病院を目指す」。

【写真説明】30日で島根大医学部を勇退する永末教授
by miya-neta2 | 2005-09-30 09:00 | 脳死・臓器移植