人気ブログランキング | 話題のタグを見る

脳死・臓器移植関連


by miya-neta2

ドイツマスコミスキャン~慢性的な臓器不足を解消?(下)沈黙は同意

JANJAN


2007/05/07

前回記事:(上)法改正で提供者の“同意”から“異議”方式へ(2007/04/30)

 日本の臓器提供意志表示カードと同じ趣旨のカードがドイツにもある。名前はちょっと違って「臓器提供証明書(Organspendeausweis)」。見た目はこんな感じである。裏には「死後、臓器・組織の移植が問題になった場合、私は次のことを宣言します」とあり、以下のような選択肢のうち該当するものの□に×印をつけるようになっている。

□ はい。私の死を医師が確認した後、身体から臓器・組織が摘出されることを許します。
□ はい。私はこれを許します。ただし次の臓器・組織は除きます。(記入欄)
□ はい。私はこれを許します。ただし次の臓器・組織だけに限ります。(記入欄)
□ いいえ。私は臓器の摘出に異議を唱えます。
□ 次の人の判断に委ねます。(その人の氏名、電話番号、住所の記入欄)

 日本のカードでは脳死か心臓死かという選択肢があるが、ここにはそういう区別はない。特定の人に判断してもらうというのは逆に日本の場合にはない選択肢だ。

 こういうカードを持ち歩いている人は、たいてい臓器提供をしてもよいと考えている人なのでふつう上の3つのどれかに×をつけている。はっきりとした意見がない人や臓器提供をしたくない人はまずカードを持たないから、その意味で4つ目の選択肢はまあ余計と言えば余計である。この証明書をもっていない場合、現行法では原則として臓器の摘出はできないことになっているからだ(※1)。

 国家倫理審議会の提案はこれをひっくり返す内容を含んでいた。すなわち「証明書をもっていない」は「拒否はしていない」(「沈黙は同意」)とみなされ、臓器提供者の1人に数えられてしまう。

 だから、もし案が法制化されたら、これまであってもなくても同じだった4つ目の選択肢が重要な意味をもってくる。臓器提供を拒否する場合は――またはとりあえず今は決められないというような場合も――この選択肢に×をつけ、常に携行しなければならないのである。

 現在ドイツで証明書を持っている人は12%ほど。けれどもアンケート(「臓器提供に賛成しますか」)をとってみると6~8割の人が「はい」と答える。だから同意方式から異議方式に変更すれば、この12%以外の人を――すべてではないにしても――大きく取り込むことができるはずだ――というのが倫理審議会の理屈である。

 ところが、この理屈は簡単に通りそうもない。法改正には連邦議会の賛成、すなわち政党や政治家の賛成が不可欠なのだが、これが右派左派を問わず一様に批判的だからである(※2)。

 たとえばキリスト教民主・社会同盟は「臓器提供は自由意志によるものでなければならず、この変更は自己決定権を制限するものだ」(フォルカー・カウダー院内総務)として認めない方針である。

 緑の党で健康政策が専門のビギー・ベンダー、エリーザベト・シャルフェンベルクの両氏も「死に瀕している人からかすめ取るようなものだ」と倫理評議会を批判する。

 左派党のモーニカ・クノッヘ副院内総務も「倫理評議会のいう『死後に自分の体を第三者に供するという国民の社会的義務』には賛成できない」と否定的な見方である。

 自由民主党のミヒャエル・カウフ氏も「自己決定権は死とともに終了するわけではない。だから沈黙が自動的に賛成になってしまうようなことはありえない」と述べている。

 臓器移植に直接かかわる医師たちの間でも意見は分かれている。

 連邦医師会のテーオドーア・ヴィントホルスト幹事は先月26日、提案を支持すると述べ、ミュンスターで行われるドイツ医師会議でそのための動議を提出したいとしている。

 一方、同じ医師会の「臓器移植に関する常設委員会」のハンス・リーリエ委員長は「臓器提供の可能性に関する説明や情報を早急に改善する必要はあるが、法律を改正することが絶対必要だとは思われない」と述べている。リーリエ委員長はまた「沈黙が賛成を意味するようなケースはわれわれの法秩序においては存在しない」とも述べており、内容以前に法律として不備があるのではないかとの見解だ。

 マスコミの論調としては『ツァイト』紙が「倫理審議会の提案が自己決定権に対する介入であることは明らかだ。しかし、このような介入は、患者の大きな苦しみを思えば、無理な要求とは言えないと思われる」と倫理審議会を支持しているが、これは少数派で、全体としては批判的な意見のほうが多い。

 たとえば『ヴィースバーデナー・クリーア』紙は「倫理審議会のセンセーショナルな提案は少しばかり勇ましすぎたようだ。はっきりと拒否しなかった人間を部品庫のようにみなすというのは誤ったやり方である」と批判した上で、

 「臓器提供の数が増えないのは、そんなことはありえないと断言されているにもかかわらず、それでも重病の時に延命措置をあまりにも早く終了されてしまうのではないか、という不安を感じている人がそれだけ多いということである。だから法的な規定は倫理審議会の期待とは反対の効果を生み出しかねない。すなわち、同意するかどうか決めかねている人たちが、さっさと拒否側のほうに駆け込んでしまいかねないのである」

 と述べ、むしろ逆効果になるのではと心配している。

 『フランクフルター・ルントシャウ』紙も「『とにかく早く、できるだけ多くの臓器を』という考え方は、倫理審議会が人間を人間としてみていないことを示している。これではまるで部品庫である」と述べ、『ヴィースバーデナー・クリーア』と同じような見解だ。同紙はさらに、倫理審議会が提案した「異議方式」を採用しているスペインで臓器移植件数が多いことに関して

 「スペインでは医師の考えや協力体制がドイツよりもずっとプロフェッショナルなのである。ドイツではそもそも――法的に義務になっているのにもかかわらず――臓器移植に協力しない医療機関が多い。この背後にはひょっとするとある種の恐れがあるのかもしれない。あなたの心臓や腎臓がほかの人を救うことができるということを、すべての医師がさまざまな点に配慮しながら患者に説明できるというわけではないし、脳死患者の親族に臓器提供についてお願いするのに心苦しくないという医師もいないからである」

 と述べ、現場の体制を改善せずに提供方法だけを変更しても問題は解決できないと主張している。

 『ハンブルガー・アーベントブラット』紙も

 「死後、身体を差し出すという提案は理性に働きかけるものだ。しかし臓器提供に同意するということは理性だけですむ事柄ではない。親しかった人の体が他人に『供される』という状況に耐えられない人もいるし、臓器提供のために早めに治療が『打ち切られて』しまうのでないかという不安を持つ人もいる。それに遺族は悲しみと絶望にうちひしがれている最中に、提供するかどうか決めろと迫られるのだ」

 と倫理審議会の提案が理に偏っている点を指摘する。そして「むしろ臓器提供者をもっと大々的に募ったほうがいいだろう。学校や大学、企業、運転免許の交付時などを利用して。法的強制は『よし協力しよう』という気分を作り出すのに、よい手段ではないのだ」と主張する。

 『ターゲスシュピーゲル』紙も「世界のどの文化でも死者に対する敬意は神聖なものだ。それが文化の度合いを測る物差しになることすらある。どんなに世俗化が進んだとしても、遺体を魂のない皮袋だとみなす場合は、きわめて繊細な配慮が要求される。死者を人間の命を救うことよりも上位に置くというのは、それ自体としては不条理なことかもしれない。しかし、どうするか決めかねている人にまで、この価値基準を自動的に当てはめてはならない」として、法制化に反対である。

 公共放送ZDFのニュースキャスター、ピーター・ハーネ氏も『ビルト』紙日曜版に寄せた文章で

 「(倫理審議会の提案は)いかに論理的かつ博愛的に聞こえようとも、決定的な難点がある。本人が賛成を表明するのではなくて、賛成なのだろうと他人が推測してしまうという点である」

 「自己決定権は人間の尊厳の一部であり、基本法によって保障され、死においても冒すことはできない。『沈黙=賛成』という等式はこの権利を奪うことを意味する。賛成と反対のどちらでもないというのも自己決定権に含まれる自由なのだ」

 と述べており「自由意志で臓器提供証明書をもつという権利をひっくり返すということは、人間を道徳的な人質にするということなのである」と批判的だ。

 ハーネ氏はまた「連帯という旗の下、ちゃんとした人間なら臓器提供を承諾するよりほかに選択肢はないはずだ」という「プレッシャー」が生じることも問題視しており、法律で何とかしようとするのではなく、「説明と信頼」を重視すべきではないか、と訴えている。

 ドイツでの移植件数は年約4000件。この数字を見る限り、ドイツ人は日本人よりこの問題に対してずっとドライなのかな、という印象を受けるが、実際にはこれだけの批判が出てきている。文化や思想的背景は違っていても、やはり何というか、人間の生身に直接関わってくるような問題は、理屈だけではどうにもならないということなのであろう。

-------------------------------

※1)日頃から臓器提供をしたいと周りの人たちに言っていた場合は、カードがなくても臓器提供の意志ありとみなされることがある。

※2)前回の記事で紹介したカローラ・ライマン氏(社会民主党)のように支持している政治家もいないわけではないが、あくまで例外的だ。

-------------------------------

Fragen und Antworten zum Thema Organspende(臓器提供に関する一問一答)
Schweigend zu mehr Organspenden(黙っているだけで臓器提供が増える)
Deutsche sollen von Geburt an Organspender sein(ドイツ人は生まれながらにして臓器提供者であるべき)
Organspende soll zur Regel werden(臓器提供をデフォルトにしたい)
Patientenvertreter begruessen Vorstoss zu Organspenden(患者団体は提案を歓迎)
Kein Ersatzteillager(部品庫ではない)
Scharfe Kritik an Vorschlaegen des Ethik-Rats(倫理審議会の提案に激しい批判)
Organspenden: Schweigen soll als Zustimmung gelten(臓器移植――沈黙は賛成とするべき)
"Schweigen bedeutet nicht Zustimmung"(沈黙は賛成を意味しない)
Kommentar zu Organspenden(臓器提供に関する論評)
Aerzte uneins ueber Organspende-Modell des Ethikrats(医師会、倫理審議会の臓器提供モデルで賛否両論)
Stillschweigen im Zweifel gleich Zustimmung?(疑わしき沈黙は賛成なのか)
Im Koerper des Feindes(敵の体で)
Ohne Ausweis(証明書なし)
Ueber moralische Geiselhaft und die Pflicht zur Organspende(道徳的人質状態と臓器提供義務)
Organspenden sind Lebensspenden(臓器提供は生を提供することだ)

(竹森健夫)
by miya-neta2 | 2007-05-07 09:03 | 脳死・臓器移植