「命、みらいに生きる」 多臓器移植、みらいちゃんの父が手記
2007年 06月 26日
2007年6月26日 17時08分
元気に笑う山下みらいちゃん=25日、東京都新宿区の慶応病院で
愛知県春日井市の山下努さん(42)の長女で、米国で多臓器移植手術を受けたみらいちゃん(1つ)が7月上旬にも同市に戻る。念願の帰郷を前に、努さんが中日新聞に手記を寄せた。
みらいちゃんは努さんと妻メリーザさん(27)の第1子。生まれつき腸に神経がない難病で、臓器移植しか助かる方法はなかった。昨年12月に米国で行われた移植手術は無事成功し、現地でリハビリ治療を続けて今月12日に帰国。その後、東京の慶応大病院に検査入院しているが、経過は順調で今月末にも退院する予定という。
みらいちゃんが生まれた時の喜び、病気が分かってからの絶望、国内で移植ができないもどかしさと小さな命を救った多くの支援に対する感謝…。手記には、難病克服の過程で感じたさまざまな思いがにじんでいる。
■誕生の喜び 絶望…そしてドナーへの感謝
アメリカでの手術を無事に終えて帰国できました。全国の皆さまから温かいお気持ちと支援をいただき、その中で救われた命です。感謝してもしきれないほどの気持ちでいっぱいです。
みらいが生まれた瞬間、妻と2人で喜び、感激の涙を流しました。その明るい気持ちも2日目に消え去ってしまいました。先生から突然「異常がありますので転院します」との宣告。胃から下の神経がない「全結腸型ヒルシュスプルング病」で、移植手術を受けなければ命が助からないと言われました。不幸のどん底に落ちた気分でした。
日本の法律では15歳未満の子どもから臓器移植を受けることができず、海外での手術しか助かる道はないとのこと。どうして良いか分からず、深夜にお墓の前で「助けてください」とお願いしたこともありました。
そんな中、子供の臓器移植が専門の米国マイアミ大ジャクソン記念病院の加藤友朗先生を知り、連絡を取りました。加藤先生は「手術は可能です」と話してくださり、暗い世界の中に一筋の光が見えた様でした。
しかし、1億数千万円という莫大(ばくだい)な費用がかかるため、悩みに悩み、「みらいをあきらめるしかない」と思い詰めたこともありました。
そんなある日、友人から「みらいちゃんは、あなたたちなら助けてくれると思って、あなたたちの元に生まれてきたんですよ」と言われました。思わず背筋が凍り、どんなことをしても助けなければいけないと気持ちが切り替わりました。
有志の方たちが「山下みらいちゃんをすくう会」を結成してくださり、募金活動が始まりました。正直なところ、募金活動をすることにはとても抵抗がありました。自分自身をすべてさらけ出してしまう様な気持ちがしたからです。しかし、みらいを助ける道はほかにありませんでした。
募金開始から5カ月後にみらいは米国に渡り、移植手術を受けさせていただきました。何よりドナー(臓器提供者)の方のおかげです。みらいにいただいた命は、ドナーのご遺族から「自分の子どもの分までしっかりと生きてほしい」と託された大切な大切な命です。手術をした12月8日はドナーの方のお悔やみの日、そして、みらいの第2の誕生日として、ずっと大事にしていきたいです。
今後もみらいと同じく、海外での移植医療に頼らなければならないお子さんが出てくると思います。海外での移植にこぎつけるには、かなりの人の力が必要なのが現状です。移植医療への理解が多くの人に浸透し、1日も早く、臓器移植法が改正されることを願っています。最後に、今まで支えていただいた皆さま、本当にありがとうございました。治療はまだまだ続きますが、頑張っていきます。 <山下努>
(中日新聞)