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脳死・臓器移植関連


by miya-neta2

臓器移植法は今国会中に改正できるか

時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉


2009年6月5日

(渡辺 雄二=科学ジャーナリスト)

 現在の臓器移植法は、15歳未満の児童からの臓器提供を禁止している。そのため、心臓移植などを必要とする子どもは海外で移植を受けるケースが多い。しかし、海外で移植を受けるためには莫大な費用がかかる。また、日本人がよその国で臓器提供を受けることに、国際的な批判の声が上がっている。

 そこで臓器移植法を改正して、子どもが国内で移植を受けられるようにしようと、厚生労働省や各政党で検討が行なわれている。すでに、臓器提供を「0歳から可能」「12歳以上からにする」などの4つの改正案が国会に提出され、今国会での成立が目指されている。日本の現状を考えた場合、いったいどの案が最もふさわしいのか?
「脳死」判定はデリケートな問題をはらむ

 現行の臓器移植法(1997年10月施行)は、侃々諤々の議論の末に成立した妥協の産物といえる法律である。成立をめぐっての最大の争点は、「脳死」を人の死と認めるかどうかという点だった。それまで人の死は心臓死が当たり前だった。つまり、心臓が停止して、血液の流れがストップし、全身の臓器や組織が機能を停止し、体温が低下し、生命現象が失われる。それが「死」であった。

 脳死はそれとはまったく違う概念だ。体温を維持していようが、臓器や組織が機能を保っていようが、大脳・小脳、そして自律神経をコントロールする脳幹の機能が不可逆的に機能停止した状態になれば「脳死」である。この概念は1960年代に人工呼吸器が使用されるようになって生まれた。人工呼吸器を付けると、脳幹の機能が停止したあとも身体に酸素が供給される。それによって心臓は動き続ける。つまり血液が全身に送られ続けるので各臓器や組織は機能し続ける。

 それでもいずれは心臓も停止するのだが、完全心停止に至るまでには一定の時間があるため、その間に心臓などの臓器を取り出して移植に使おうという発想が生まれた。しかし人間は、たとえ脳死状態にあっても心臓が動いている限りは体温も維持され、皮膚はふつうの肌色を保つ。体温も維持される。つまり脳死状態の患者の外見は生きている時とそれほど変わらず、「死んでいる」と認識するのは難しい。そのため脳死を人の死として受け入れないという人が少なくなかった。






 また「脳幹の不可逆的機能停止を本当に見極められるのか」という問題も大きかった。脳幹の機能が停止すると「脳波が平坦になる」「瞳孔が開く」「深い昏睡」などを起こすことが分かっていたが、どのような条件を満たせば、本当に脳死と断定できるのかが当時の医療関係者の間では議論になった。もし、脳幹が不可逆的機能停止に陥っていないにもかかわらず、脳死と判定して、臓器を摘出してしまったら、それは「殺人行為」に当たる可能性がある。それは絶対に避けなければならない。

10代の若年層に「脳死」という概念は理解できるのか

 そのため、どうしたら完全に脳死と判定できるのか医療関係者の間で延々と議論がなされ、何とか脳死判定基準が作られたが、それでも「脳死を人の死と認めない」という人たちの反発がなくなるわけでなかった。そこで1996年6月、生命倫理研究議員連盟の中山太郎会長が「生前に臓器提供の意思を書面で示した人に限って、脳死からの臓器摘出を認める」という苦肉の策を提示した。提供意思を示した人=脳死を人の死と認めた人からなら臓器を摘出してもいいというわけである。その際、遺族が提供を拒否しないことも条件に加えた。

 これには脳死に反対する人たちも反対の矛先を収めざるを得なかった。本人が「脳死を人の死」と納得し、臓器を提供しようという意思まで止めることはできないからだ。ところが、ここで「意思を示す」ということが問題になった。意思を示すためには、脳死というものを理解し、それに対して自分なりの考えを持たなければならない。これは小学生には難しいし、中学生でもどうか、という感じだろう。そこで、遺言可能年齢などをもとに「15歳以上は提供できる」とし、15歳未満からの臓器提供は禁止された。

 これでどうにか落着するかに思われたが、しかし現在の日本で臓器移植が盛んに行なわれてはいないのは周知の通りである。生前に提供の意思をはっきり示す人は少なく、臓器移植法が施行されて以来、11年半の間に行なわれた脳死移植は81例。これに対して、移植を希望する待機者は1万人を超えるといわれている。脳死の定義については一応の決着を見たが、現実の運用面ではまだまだ臓器移植のハードルは高いのだ。その意味では脳死にまつわる諸問題は依然として解決を見ていないといえよう。

 運用面での問題はまだある。臓器の提供を受けたい小児の場合、日本での移植は非常に困難になったことだ。小児の臓器は小さいため、脳死状態の小児から臓器を提供してもらわなければならない。しかし、15歳未満の脳死者からの臓器摘出はできない。そこで、移植が必要な子どもを持つ親は、小児から摘出が認められている米国などで移植手術を受けるケースが増えていった。しかし、海外で移植手術を受けるためには数千万円という莫大な費用を必要とした。

移植臓器の「自給自足」は世界的な流れ

 また、日本人が外国で臓器提供を受けることに、国際的な非難が高まった。WHO(世界保健機関)も、今年1月に各国で臓器の「自給自足」の努力を求める新指針を承認し、5月の総会で正式に決議する予定だった。この決議は新型インエルエンザの世界的流行で延期されたが、いずれは決議されることは確実だ。となれば日本人が外国で移植を受けるのは困難になる。そこで国内で小児が移植を受けられるようにしようと、以下のA~Dの改正案が今国会に提出されたのだ。
A案:脳死を一律に人の死とし、本人に提供の拒否の意思がなく、家族が同意した場合は臓器の提供が可能。提供は0歳から可能。
B案:脳死の位置づけや臓器提供の条件は現行法と同じだが、提供は12歳以上から可能とする。
C案:脳死の位置づけや臓器提供の条件は現行法同じで、脳死の定義(判定条件)を厳格化する。提供できる年齢は現行法と同じ。
D案:現行法と同様に臓器移植の場合に限り脳死を人の死とする。15歳以上の人からの臓器提供の条件は現行法と同じだが、15歳未満の場合、本人の生前の意向を踏まえての家族の承諾、および第三者機関による審査を条件に可能とする。提供は0歳から可能。

 移植を受けた患者らの団体や移植医療関係者が支持するのは、A案だ。これは当然だろう。もし、A案が成立すれば、臓器移植が行ないやすくなるし、小児から臓器を摘出して、それを必要とする小児に移植することができる。しかし、もしこの案が通れば、現行法の根幹である「本人の提供の意思が示されている場合」という条件が崩れることになる。
 B案は、現行法を少し手直ししたものだ。しかし、12歳というと、小学六年生からということになる。小学生が、脳死というものを理解し、臓器提供の意思を自分で示せるのかというと、前述のように疑問が残る。

 C案は、基本的には現行法と変わらないので、これでは、移植医療の状況はほとんど変わらないことになる。D案は、現行法とA案との折衷案のようなものだ。しかし15歳以上はその人間の意志が尊重されるのに対し、一つ年下の14歳以下は、家族の意思が優先されることになる。15歳という年齢を境に、個人の意思が通るか通らないか、違ってしまうわけだ。なお、第三者機関による審査は、親の虐待による脳死かどうかを判断するためのものだ。


すべての国民に「脳死を人の死」と無理強いするのは不合理

 ともあれ、A~D案のいずれも「帯に短したすきに長し」という感じで、完全な案といえるものではない。あえてどれか一つに絞るとすれば、消去法で検討していくしかないように思う。

 まず、A案だが、これは現状では無理と考えられる。まず、脳死を一律に人の死とするところに無理がある。死生観は、人間にとって根本的な命題であって、「人の死」は誰もが、あるいは大多数が納得する概念でなくてはならない。しかし、脳死を人の死と認めていない人は多く、各世論調査では、国民の30%前後が「認めない」と答えているという。

 そんな状況の中で、すべての国民に脳死を人の死と無理強いするのは、不合理である。もし、無理強いすれば、脳死者からの臓器提供に反対する人たちが、猛反発することは間違いないだろう。その動きに多くの人たちが同調すれば、反発のうねりが全国的に広がって、脳死論議が原点に戻る可能性がある。その結果、今以上に臓器移植が困難になるかもしれない。

 また、現在国内では脳死状態で数カ月以上生き続けている人がいる。もし脳死が一律に人の死ということになれば、その人は死者ということになってしまう。これも、まったく不合理である。さらに現行の臓器移植法は「自分の意思で臓器提供を決定する」ことを基本理念としている。

 したがってこの理念を無くしてしまえば、まったく別の法案になってしまう。これは改正という趣旨に反している。C案も実現は無理だろう。もしこれが通れば、移植を待つ子どもたちが救われないことになる。移植を推進したい患者団体や医療関係者が黙っているはずがなく、猛反発は必至だ。

「親がすべて判断」でいいのか

 となると、残るはB案とD案ということになる。しかし、B案については、12歳で自分の意思が示せるのかという問題もさることながら、現行の15歳から3歳引き下げたところで提供される臓器の大きさはそれほど変わらないとの指摘がある。だとすれば、これでは小児の移植はこれまでと変わらないことになる。


 残るはD案。この案では、15歳以上の場合、現行法と同じなので新たな問題は生じることはない。しかし、15歳未満の場合、その子どもの死生観を親が代わりに引き受けることになる。子どもの生前の意向を踏まえるとはいうが、いかに親とはいえ、そこまで判断の権限をもっていいのか疑問が残るところである。また、意向を示せない年齢の場合は、親がすべて判断することになる。仕方のないことかもしれないが、どこか割り切れないものを感じる。

 さらに、小児の場合、脳死の判定が非常に難しいという難題がある。これまでに脳死と判断されて、その後1年以上生き続けているケースがある。この点も解決しなければならない。

 もしD案を通すというのであれば、まず脳死判定基準を見直して、小児の場合でも間違いなく判定できるものにしなければならないだろう。また、生前子どもが提供を拒否する意志を示していた場合(中学生になれば、これは十分できるだろうし、小学生でも脳死について勉強した子はできるかもしれない)、親がそれを完全に受け入れる形にしなければならないだろう。また、子どもの主治医が親に提供を求めてきた場合、親がそれを望まないのであれば、容易に拒否できる形にしなければならないだろう。

 そのD案とて、まだまだ不十分なように筆者には思える。今後さらに検討を加えて、より多くの人が納得できるような内容にする必要がある。現在、国会でA~D案について審議が行なわれているが、すべての国民に関係する重要なテーマであるにもかかわらず、国民への説明が不十分なように思う。臓器移植を待つ人が多いという事情もわかるが、拙速に結論を出すべきではない。もっと国民に内容を説明し、国民的な議論を経た上で、誰もが納得できるような改正にして欲しいと思う。


渡辺 雄二(わたなべ・ゆうじ)
科学ジャーナリスト。1954年生まれ。千葉大学工学部合成化学科卒。消費生活問題紙の記者を経て、1982年からフリーに。その後、月刊誌や週刊誌などに、食品、環境、医療などに関する諸問題を執筆・提起し、現在にいたる。著書に『食品添加物の危険度がわかる事典』『危ない化学物質の避け方』(KKベストセラーズ)、『食べてはいけない添加物 食べてもいい添加物』(だいわ文庫)など多数。
by miya-neta2 | 2009-06-05 12:00 | 脳死・臓器移植